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台南 観光案内
台南(たいなん、タイナン、Tainan)は、台湾最古の町です。17世紀前半の1624年にオランダ人が現在の台南にゼーランディ城(安平古堡)を築城し、プロビデンシャ街(現在の民権路付近)にヨーロッパ式の街が開かれ、プロビデンシャ城(赤崁楼)が建てられました。その後、17世紀後半には明の鄭成功によりオランダ人が駆逐され、清代には台湾の中心地として栄えました。現在では台湾で四番目(台北、高雄、台中、台南)に大きな都市となっています。日本統治時代の近代建築が多く残る街として建物マニアに知られています。
赤崁楼(せきかんろう、プロビデンシャ城)は、台南最古の史跡の一つです。オランダ人が最初に築城し、1661年には鄭成功がオランダをこの地から駆逐し、町の名前を承天府と改め政治の中心地としました。19世紀中頃の地震で全壊したものの、現在も残る城門と基台はオランダ時代のものです。一級古蹟に指定されています。
孔子廟は、1661年に創建されたもので台湾最古の孔子を祀る廟です。台湾における儒学発祥に地とされています。大正時代には、裕仁皇太子(のちの昭和天皇)も訪れています。一級古蹟。
台湾府城隍廟は、1669年に創建された台湾最古の城隍廟です。城隍廟とは、城隍神(道教の神さまのひとつで都市の守り神)を祀る廟です。鄭成功の息子である鄭経のために建てられたものです。現存する建物は、1759年に再建されました。二級古蹟。
祀典武廟(してんぶびょう)は、台湾にある関羽を祀った関帝廟の総本山です。別名「大関帝廟」。明代末期の鄭氏政権時代には寧靖王の王府、神明庁として利用されていました。台湾に数多くある廟の中でも保存状態のよさで知られています。一級古跡
大天后宮は、1664年に創建されたもので、当初は鄭氏政権時代の寧靖王朱術桂の別府でした。鄭氏政権時代の崩壊後は、媽祖廟に改められました。台南大媽祖廟とも呼ばれています。一級古蹟。
延平郡王祠は、1874年に創建されました。福州様式の建物で建築当時は「開山聖王廟」と呼ばれていました。日本統治時代には、日本の神社や寺院に模した改築が行われ「関山神社」と呼ばれました。
大南門は、台湾唯一の甕城(城内警備と敵を捕まえる機能を併せ持った城門)です。三級古跡となっています。大東門は、台南城東門を1975年に再建したものです。
国立成功大学は、日本統治時代の台南高等工業学校(1931年創立)を前進とする名門大学です。光復校舎は、かつての日本軍の駐屯地で、当時の建物が3棟残っています。市定古蹟
台南運河は、台湾最古の運河です。オランダ軍と鄭成功が激戦を繰り広げた場所です。運河に北側には、台南発祥の地とされる安平地区があります。
五妃廟は、清朝の末裔である寧靖王の5人の妃を祀った廟です。一級古跡
安平古堡(ゼーランディ城)は、1624年にオランダ人によって築かれた城塞跡です。鄭成功によるオランダ人駆逐後は、清朝への反攻拠点として栄えました、清の覇権が台湾にも及ぶようになると政治機能は赤崁(現在の台南中心部)へ移り徐々に寂れていきました。一級古跡
億載金城は、1874年に発生した日本による台湾出兵に対抗すべく、清が台湾防衛の拠点として築城した要塞跡です。一級古跡
地図
Google Map を利用した台南 地図です。青色のバルーンアイコンは、台南駅(1)、高鉄台南駅(2)、台南空港(3)です。オレンジ色のバルーンアイコンは、赤崁楼(1)、孔子廟(2)、台湾府城隍廟(3)、祀典武廟(4)、大天后宮(5)、延平郡王祠(6)、大南門(7)、大東門(8)、五妃廟(9)、国立成功大学(10)、台南運河(11)、安平古堡(12)、億載金城(13)です。インタラクティブ地図のため拡大縮小ができ、周辺の詳細地図も見ることが出来ます。
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行き方
飛行機:台北から毎日数便のフライトあり(所要45分)
鉄道:台北から新幹線で約2時間(在来線は約3時間30分)。台中から新幹線で50分(在来線は約1時間40分)。高雄から新幹線で15分(在来線は約30分)。
バス:台北から約4時間30分。台中から約2時間。高雄から約1時間
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